宝仙学園ガイドブック 2020-2021
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建学の精神2「寺院は教育の源泉」 昭和2年(1927)、緑深い中野の杜に感応幼稚園(現・宝仙学園幼稚園)が、翌年には中野高等女学校(現・宝仙学園中学・高等学校)が創設されました。宝仙学園誕生のときです。 その後、昭和10年(1935)、仏教系の保育者養成校として仏教保育協会保姆養成所(現・こども教育宝仙大学)が開設。そして昭和28年(1953)に宝仙学園小学校が新設され、総合学園としての全容が整いました。 宝仙学園の創立者は、真言宗豊山派の古刹・宝仙寺第五十世住職冨田 純大僧正です。 「寺院は法事のみを執り行う所にあらず、社会に奉仕するのも寺院の使命。古来、そこは国民教育の場であったように、寺院は教育の源泉であり、社会の中枢に位置する存在である」(中野高等女学校設立趣旨より要旨) このような信条のもとに、宝仙学園は創立されました。弘法大師の「綜藝種智院」を模範に 宝仙学園創立の背景には、真言宗の開祖・弘法大師(空海)の教えがありました。 平安時代の初期、わが国初の私学「綜しゅ藝げい種しゅ智ち院いん」を創設したのが弘法大師です。当時は、地方に国学(学校)が設置されていたものの、そこは官吏を養成するための機関といった色合いが濃く、教育も儒教中心の教育が行われていました。しかし綜藝種智院では、広く庶民に門戸を開き、教育もあらゆる学問を探究する、自由闊達な教育が行われました。 弘法大師に私淑していた創立者は、学園創立にあたって綜藝種智院を理想の教育機関とみなし、大師の思想を教育の根底におきました。宝仙学園の創立創立者 冨田純大僧正三信条我等は宇宙人格を信ず我等は感応の生活を行う我等は現身完成を証す─興教大師参拝法より─

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