宝仙季報 No.160
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宝仙学園小学校校長西島 勇きたのはうれしい記憶です。下町ですから、生徒、保護者の皆さま、地域の方々との交流が活発で、教わりながら自らも成長することができました。 その後は、品川区の教育現場で30年間勤めました。7年目からは管理職となり、品川区が進めようとしていた小中一貫教育に向けての教育改革に携わりました。9年間の教育課程を一貫性を持たせながら見直し、小・中学校の教員が一体となって指導するなどの体制をつくり、カリキュラムの構成や内容の工夫についても研究・検討を重ねました。 小中一貫校の在職中にこんな経験もしました。開校時入学した小学1年生と一年間過ごした後、私は他校へ異動。8年後にその学校に戻ったのですが、あの小さかった子どもたちが9年生(中学3年生)の青年となって、「先生、覚えているよ」と声をかけてくれました。成長した姿を目の当たりにし、教員として喜びを感じました。リレーコラム5■宝仙学園の教育真剣に向き合うことが大切。いつも子どもたちから学んできました。7人兄姉の東京下町育ち 生まれは文京区千駄木。東京の下町で育ちました。7人兄姉の末っ子で、そのうち6人は男でした。世は高度成長期。後楽園球場が程近く、当たり前のように巨人ファンになって、球場からの出待ちで長嶋さんや王さんを見に行っていました。当時は近所に原っぱ(大きな空き地)があって、友だちと集まったら草野球。大らかな空気のなか、誰もがそんな小学生時代を過ごしていました。 うちが他と少し違ったのは、父が柔道に打ち込んでいて、柔道一家であったこと。兄も全員が柔道をやっていまして、私も小学校1年から6年まで、都電に乗って水道橋にある講道館に通っていました。中学も柔道部でした。我が学年は強くはありませんでしたが、競技を通して体力と礼儀を身に付けることはできたように思います。 法律の専門家に憧れがあり、大学は法学部に進みました。教員の仕事に関心を抱くようになったのは、大学のサークル活動で、子どもと遊んだり、学んだりする機会があり、子どもを教え導くことの尊さや面白さを感じたから。また、3つ上の兄が教員で、その影響も少なからずはありました。教員として、様々な経験を積む 東京都の教員試験に受かり、最初に赴任したのは、足立区の中学校でした。昭和30年代以降、多くの戸建て住宅や団地が整備された地域で、急速に変化を遂げたことから、全国的にもそうでしたが、様々な問題が起こりました。新米教員としてこうした場で揉まれたことが、教員としての土台になっていると感じます。 次に赴任したのが墨田区の中学校です。ここで学んだのは、「真剣に向き合うことの大切さ」です。区内の学校対抗連合陸上大会があり、最初の頃は総合最下位に甘んじていたのですが、生徒と先生方がいっしょに努力して、数年後には優勝するまでに導くことがで学び合い、励まし合う関係が理想 宝仙学園は、幼稚園から大学までを擁する私立の総合学園です。素晴らしいと思うのは、子どもたちがみんな元気なこと。勉強をするにしても、行事を行うにしても、先生と児童がしっかりキャッチボールしながらやっているからか、無関心にしているような児童を見かけないですね。 私は多様な地域の教育現場で子どもたちと接してきました。そこから言えるのは、環境が変われど、大人が真剣に子どもと向き合う姿勢が大切であることです。「師弟同行」という言葉がありますが、一方通行ではなく、先生と弟子が教育的実践を通して、共に学び合う、励まし合うのが、その意味するところです。 努力すれば、必ず道は開けます。この学校に通う子どもたちには、いつしか先生たちを追い越してさらに立派な人間になってもらいたいと願っています。これからも皆さんの輝かしい未来を応援しています。

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