宝仙季報 No.167
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宝仙学園の教育先生にもダンスにも興味がなかった中学時代教員の素晴らしさを教わった教育実習目指すは100周年で日本一!リレーリレーコラムコラム宝仙学園高等学校女子部氷室 薫初代ダンス部の引退公演。今でも忘れない思い出の写真5のダンスを披露することで、「先生、ダンス教えて」とまで言われるようになりました。そして実習の最終日、担任の先生不在のためホームルームを一人で任されることに。私は最後のホームルームのために教室へと向かいました。すると普段は開いている扉が全部閉じられていたのです。戸惑いながら入ると生徒たちが通路を作って一斉に拍手。さらに手紙まで用意してくれていたことに感激し、「絶対に教員になって帰ってきてください」と言われた一言で教員になるのもいいなと思いました。そして大学卒業後の2011年、奇しくも地理担当の非常勤講師として宝仙学園⼥子部へ。さらに指導者が不在ということでダンス部のコーチも任されることになったのです。 ダンス部では生徒たちの頑張りもあり、2014年に全国大会で初入賞、2019年世界大会初出場、メディアにも出演など着実にステップアップしていきました。ところがそんな時に出されたのがコロナ禍での緊急事態宣言。毎年行われる卒業公演も、その年の卒業生だけ中止です。しかし、卒業生たちは諦めることなく集まって練習を続け、9月に卒業公演を実現させました。この出来事はダンス部のバトンをつなげてくれた印象的なエピソードとして今でも心に強く残っています。 教員になって今年で15年。そんな私から見た宝仙学園は、まさに “アベンジャーズ”ですね(笑)。部⾨ごとに個性的なキャラクターの先生が集まっているのですがみんな宝仙が好きで、その愛情から温かい空気感を漂わせている。きっとそこには長年培ってきたからこその⽂化が息づいていると思うのです。2028年には⼥子部100周年を迎えます。それまでにダンス部も高校生日本一になることを目標に頑張っていきます。 私の家系は代々神社の神主で父も神主。親戚も教師や医師など“先生”と呼ばれる職業が多く、「おまえも“先生”と呼ばれる職業になるよ」と父によく言われていました。でも反発心の強い子どもだった私はレールの敷かれた人生が嫌で絶対に先生なんかになるものか、と思っていました。高校からは中高一貫校の⼥子校に進学したのですが、そこでも反骨心丸出し(笑)。先生とはあまり仲良くなく、先生を慕う生徒に対しても媚びを売っているようで嫌悪感があったほどです。そんななか唯一好きだったのが、世界史の先生の授業でした。もともと社会は得意だったのですが、その先生に出会ってますます世界史が好きになりました。 高校1年のとき、ひょんなことから⽂化祭でダンスを発表することになったのですが、ダンス未経験の私はボックスステップすら踏めず、まったく踊れません。到底おもしろいと思えず何かと理由をつけて練習をさぼっていたところ、ある日それが両親に知られることとなり、きつく説教されたのです。ことの重大さを理解した私は母親に紹介されたダンススクールに通って猛特訓。同時にダンスの魅力にどっぷりとはまり、高校3年の時には本格的にダンスの道に進みたいと思うほど夢中になっていました。 ダンスを好きなだけ続けるために両親からいくつかの条件が提示されました。それは大学に進学し、単位を落とすことなく教職課程も履修すること。私は進学先の大学で教職の勉強に励みながら、外部のダンスチームに所属しました。いわゆるキャンパスライフとは無縁の生活でしたね。そしていよいよ教育実習の時期が来て、実習先である母校へ。告げられた担当教科は社会のなかでも苦手だった地理、ホームルーム担当は一番手がかかる生徒が多いとされるクラスです。見学に行くと生徒たちから冷ややかな視線を向けられ、とても不安になりました。でもその一方、手がかかる生徒と言われていた自身の経験から少しだけ生徒の気持ちがわかる気もしました。 そんな不安を抱えてスタートした教育実習でしたが、どうしたら生徒の興味が惹けるだろうかと考え、それらを実践していったところ少しずつ生徒との距離が縮まっていくのを実感。得意反発心が強かった高校時代を振り返り、生徒一人ひとりと寄り添いながら未来へバトンをつなげていきます。

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